この銅像は「鹿児島城」に鎮座しています。
島津の分家、今和泉島津家の姫として生まれた篤姫は、島津斉彬の養女として「鹿児島城」に入ります。
そして13代将軍・徳川家定の御台所(正室)となるべく江戸へ向かいますが、二度と薩摩の地を踏む事はなかったそうです。
「篤姫」ではなく「天璋院」として故郷へ帰って来たという見方も出来ますが、私はこの銅像は江戸(東京)の篤姫(天璋院)ゆかりの地へ置いていただきたかったという気持ちです。
徳川の人間として生きる決意をしたと思うからです。
「鹿児島城」に置くのは「天璋院」ではなく「篤姫」の銅像。
想像でもいいので、大河ドラマで演じられたおきゃんな「篤姫像」も見てみたかった気がします。
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