さて、この細川ガラシャが“関ヶ原の戦い”にどう関わったか・・・という事ですか、、、
反・三成派のガラシャの夫・細川忠興は、徳川家康と共に上杉討伐に出陣します。
この時忠興は“何があってもこの屋敷からは出てはならない”という事をガラシャに告げていたそうです。
徳川勢が留守になる大坂で石田三成がどういう一手を繰り出してくるのか・・・
忠興はもうこの時に察していたのかもしれません。
敵方の武将が居なくなった大坂で三成がとった作戦は、徳川方に付いた大名の妻子を人質にする事でした。
広大な敷地の大坂城内には諸大名の屋敷があり、大坂に止めていた妻子達を人質にする事でこちらに寝返らせようという、義の男・三成らしからぬ作戦です。
加藤清正、黒田長政ら一部の妻子は脱出していた様ですが、最初にターゲットにされたのが忠興の妻・ガラシャでした。
が、しかし・・・
忠興の命令で屋敷から出る事は出来ません。
キリスト教では自ら命を絶つ事は大罪となり禁止されています。
三成勢に取り囲まれる細川邸。
いつしか屋敷からは火の手が上がっています!
燃え盛る炎の中、ガラシャの運命は!?
そして、三成の人質作戦の結末は・・・!?
次回へつづく(ちゃんちゃん)。
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