浦戸城 その3






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私の田舎は静岡県で、現在は合併して浜松市天竜区春野町となっています。
春野町として独立した自治体の時は、高知県の春野町と姉妹都市関係にあった時もありました。


山内一豊が掛川城主だった時にはその辺りも治められていた領土だと思います。


だからでしょうか、静岡に住んでいた時から高知は身近に感じていましたし、本山氏、長宗我部氏の方が関わりが深い「浦戸城」に来ても、どうしても一豊目線で見てしまいます。


“あ~・・・一豊は掛川からまず最初にこの城に入ったんだ~・・・”
って感じです。










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これらが“石垣の名残と思われる石”なのでしょうか?


私は“石垣の名残の石”だと思い込んで撮っています。










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過去5回程桂浜の方に来ておりまして、龍馬像や記念館では多数の人を見ますが、この“天守跡”では今のところ・・・


誰も見ておりません・・・。




すぐ近くは観光客でごった返しているのに、「浦戸城」では「浦戸城」を独り占め出来ます。


龍馬も勿論良いのですが、長宗我部や一豊を想いながらゆっくり散策出来て、結構いい気分です。










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# by keta871 | 2012-03-28 04:25 | Comments(2)

浦戸城 その2






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天守跡がある小山の前には城碑と出土した石垣が復元展示されています。










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天守跡へは迷わずすぐ行けます。










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目指した先には・・・










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祠と鳥居、説明板があるのみです。










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なになに・・・この斜面に石垣の名残と思われる石が・・・


これは是非行かなくては!










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# by keta871 | 2012-03-27 03:46 | Comments(2)

浦戸城 その1






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桂浜へ出向いたら、龍馬像と共に行っておきたいのが「坂本龍馬記念館」です。
その記念館が建っている場所が「浦戸城」の詰ノ段(本丸)になります。










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記念館の入口前では“シェイクハンド龍馬像”がお出迎えです。










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で、その向かいの小山が「浦戸城」の天守跡になります。










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「朝倉城」を拠点としていた本山氏が勢力を拡大してこの「浦戸城」を築いたのがはじまりだそうです。
その後、本山氏から長宗我部国親が奪い、本拠地「岡豊城」の支城となります。


そして“関ヶ原の戦い”で西軍に付いた長宗我部盛親でしたが、承知の通り西軍は敗れます。
盛親が土佐を追放され、新しい領主として山内一豊が入ります。
が、長宗我部の家臣達が「浦戸城」の明け渡しに反対し、一揆を起こすほどの激しい争いになります。
土佐では幕末まで身分の高い者が“上士”、下級武士を“下士”と差別されてきましたが、関ヶ原の戦いにおける配置換えとその後の争いにより出来てしまった“山内派=上士、長宗我部派=下士”という流れが脈々と続いたようです。










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坂本龍馬は元は土佐の下級武士。
関ヶ原では、本来なら東軍に付くつもりだったという盛親の判断、または勝敗が逆転していたら龍馬の運命も変わっていたでしょうし、坂本龍馬自体も現れなかったかもしれません。










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# by keta871 | 2012-03-26 10:50 | Comments(2)

坂本龍馬先生 その4






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昭和3年に建立されました。
死後約60年後の事です。
昨今の人気ぶりからすると、かなり遅いです。
そして昭和37年から新聞で連載が開始された司馬遼太郎の「竜馬がゆく」がきっかけで、現在一般的にイメージする龍馬像が確立されたようです。


“幕末のヒーロー・坂本龍馬”が浸透したのは、つい最近と言ってもいいかもしれません。










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死後かなり経過してから注目される様になったのは、それまでは意図的に存在を消されていたからだそうです。
やはり、反体制派だったから・・・でしょうか?










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“日本の夜明け”を見る事が出来なかった龍馬。
でも、そういう所もヒーローたる所以だと思います。










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# by keta871 | 2012-03-25 06:35 | Comments(2)

坂本龍馬先生 その3






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この龍馬像、あの肖像写真より“いい男”です。










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# by keta871 | 2012-03-24 07:12 | Comments(2)