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山内一豊公之像 その5






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“関ヶ原の戦い”の功により・・・という型通りの言い方ではなくもっと違った表現で言うなら・・・
奥さん(千代)の機転により、一豊は掛川五万石から土佐二十万石へ加増となりました。
今まで縁もゆかりも無かった土佐(高知)とここで初めて係わる事となるのです。
そして・・・
一豊が土佐の殿様になったおかげで、坂本龍馬というヒーローが誕生したのだと言っても過言ではありません。
そう考えた方が歴史は面白いと思います。















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by keta871 | 2014-07-31 01:01 | Comments(0)

山内一豊之妻 その5






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豊臣秀吉亡き後、まだ幼い秀吉の子・秀頼はお飾りに過ぎず、事実上トップに君臨していたのが徳川家康でした。
“俺が一番偉いんだから、大阪まで挨拶をしに来なさい!”
と諸大名に連絡しますが、会津の上杉(直江兼続)が
“いちいちそんな事で大阪まで行ってられるかい!”
と挑発した為
“上杉謀反じゃ~!”
と怒ってしまい、家康は上杉討伐の為、会津に向かって挙兵しました。
家康が大阪を離れた事が“関ヶ原の戦い”のきっかけの一つだったのです。
形としては“関ヶ原の戦い”は豊臣の家臣同士の争いという事で、家康と行動を共にした中には豊臣恩顧の大名も多数おり、山内一豊もその中の一人でした。
秀吉の忘れ形見・秀頼を後ろ盾にした石田三成に付くか、性格は最悪だが天下人としての器を備えた実力者の徳川家康に付くか・・・
家康と共に行動し関東まで来ていたとはいえ、一豊はまだ決断出来ずにいました。















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で、一豊の奥さん(千代)です。
この時、奥さん(千代)は大阪の屋敷におり、石田方から加勢を勧誘する書状も山内家に届いていました。
“こちらの味方になりなさい”という手紙です。
奥さん(千代)は石田方から届いたこの書状と、奥さん(千代)本人から一豊に宛てた大阪の情勢などが記された文と、二つの書状を文箱に入れ、“徳川に付くならこの文箱を開けずに家康に届けなさい”という密書を笠の緒に仕立てて使者に届けさせました。
密書の通り一豊が文箱を家康に届けると、重要な情報を未開封のまま自分に差し出した一豊の忠誠ぶりを大いに喜んだそうです。
未開封のままの書状を家康に読ませた・・・というのが奥さん(千代)の機転ですね。















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“関ヶ原の戦い”の結果は御承知の通りです。
奥さん(千代)の機転が無く、忠誠心がある事を理解されていなかったら一豊は土佐を任せられていなかったかもしれません。















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by keta871 | 2014-07-30 02:02 | Comments(0)

山内一豊公之像 その4






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1585年、長浜二万石城主
1590年、掛川五万石城主と、地道ながら一豊は徐々に出世して行きます。
そして1598年、秀吉没後の 1600年、関ヶ原・・・
一豊の奥さん(千代)の機転が、山内家の運命を左右させたのかもしれません。















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by keta871 | 2014-07-29 06:06 | Comments(0)

山内一豊之妻 その4






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もしこの世にも稀な名馬を織田家の侍が購入できなかったら、諸国を回って馬を売り歩いている博労(ばくろう)が“織田家の家臣は馬を見極める目が無い、良い馬を買う器量も無い”などと風潮していたであろうし、そんな名馬を購入した事で織田家の名が上がる・・・と、誰も購入出来ないほどの名馬を買った一豊に対して、信長は大層喜びました。
まだ貧しかった山内家ですが、石高以上の家来を養いながらも財貨を蓄え、誰にも買えない名馬を買った・・・という一豊自身の評判も上がって行くのでした。

一豊の奥さん(千代)は、黄金十両で“織田家と一豊自身の評判を買った”という事ですね。















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by keta871 | 2014-07-28 03:03 | Comments(0)

山内一豊之妻 その3






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皆皆 馬上の達者
花麗なる御出立
本朝の儀は 申すに及ばず
異国にもかほどの様
これあるべからず
















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天正9年(1581年、本能寺の変の前年)2月、織田信長の天下布武を祝うかの様に帝(みかど)の前で盛大な“馬揃え”が行われました。
“馬揃え”とは騎馬のパレードで、信長の威厳を帝や世間にアピールするイベントです。
数百の騎馬が集ったパレードで、一際注目を集めたのが山内一豊であったという事ですが、
主役は・・・奥さん(千代)のへそくりで購入したという名馬“太田黒(おおたぐろ)”であったのは言うまでもありません。
この名馬の値段は黄金十両。
通貨としての黄金の流通がまだ少なかった時代の事ですので、とてつもない高額な馬だったのです。
家来達を養っていくのがやっとの、まだまだ貧しい時代の話です。















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by keta871 | 2014-07-27 11:10 | Comments(0)

山内一豊公之像 その3






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山内一豊の出身は土佐(高知県)ではなく尾張(名古屋市辺り)です。
お父さんの盛豊が守る「黒田城」が織田信長によって攻め落とされ父と兄が討死すると、元服前だった一豊は母やわずかな家臣らと共に各所を転々としました。
二十歳前後の頃、父の敵でもある信長に仕えていた木下藤吉郎(豊臣秀吉)に仕える定めと相成りました。
そして、結婚後は奥さんの内助の功もあり次第に運気が開けてきます。
初めて持ったお城が近江(滋賀)の「長浜城」、そして遠江(静岡県西部)の「掛川城」と徐々に出世。
高知とは全く縁もゆかりも無い土地に生まれ、秀吉の存命中は高知とは縁もゆかりも無い土地の大名を務めていたのです。
そう、天下分け目の“関ヶ原の戦い”までは、一豊と高知とは縁もゆかりも無かったのであります。















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by keta871 | 2014-07-26 12:12 | Comments(0)

山内一豊公之像 その2






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「山内一豊之妻」と「山内一豊公之像」。
それぞれ単独の立派な像であると共に、2つ合わせて御夫妻の像は「高知城」にあります。
追手門を潜って石段を上った所にある“杉の段”という郭に奥さんの像、
追手門横の県立図書館前に旦那さんの像がそれぞれ鎮座しております。
少し離れていますが、徒歩3分前後で行き来出来る距離感でしょうか。















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by keta871 | 2014-07-25 11:11 | Comments(0)

山内一豊公之像 その1






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“山内一豊の妻(千代)”の旦那さん、つまり山内一豊本人の像です。
騎馬像ですが、何気にかっこいい騎馬像なのであります。
個人的な思い入れも含めて“日本三大騎馬像”に認定したいぐらいです。
・・・って言いますか、この場で認定です!















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by keta871 | 2014-07-24 10:10 | Comments(0)

山内一豊之妻 その2






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“山内一豊の妻”の名前は“千代”と、一般的にはそう思われておりますが、
実際には“千代”かどうかは定かではない様です。

織田信長の正室“濃姫”は、大河ドラマ「軍師官兵衛」の中では“本能寺の変”で信長と共に死んでしまうのですが、本能寺の変以前に死んでいるとか、本能寺の変以降も生きていたとか諸説ありますし、豊臣秀吉の正室も“ねね”とか“おね”とか、作家さん次第で呼び方が違います。
女性に関しての資料というにはあまり残っていない様ですね。















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by keta871 | 2014-07-23 11:11 | Comments(0)

山内一豊之妻 その1






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銅像のタイトルは「山内一豊之妻」。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の“三英傑”に仕えた戦国武将・山内一豊の奥さんです。
一豊は初代土佐(現・高知)藩主として、幕末の15代藩主・山内容堂、最後の藩主16代・豊範まで代々続いた山内家の礎を築いた人物です。
が・・・
一豊の出世は奥さんの内助の功があったからだと言われており、ある意味旦那さんより奥さんの方が偉かったのでは?
ゆえに・・・
高知で最も有名な人物(銅像)は坂本龍馬かもしれませんが、最も偉大な人物(銅像)はこの奥さんなのだと思います。















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by keta871 | 2014-07-22 09:09 | Comments(0)