“秀吉の道”と題した文章と絵が、天王山山頂への道々に点在しています。
“本能寺の変”から“中国大返し”、そして“山崎の戦い”から明智光秀の最期。
そしてこの地から秀吉の天下人への道が始まった・・・という流れの、堺屋太一作の文章です。
明智光秀に勝利した秀吉は、「大坂城」へ移るまでの約2年間この「山崎城」を拠点としていました。
天下人になる前。
ある意味、秀吉の人生の中で最も勢があり最も充実していたであろう時期の居城がこの「山崎城」だったのです。
「大坂城」より地味だけど・・・
“関ヶ原の戦い”より天下分け目感は薄いけど・・・
「山崎城」と“山崎の戦い”、何となく憶えておいて下さいね。
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