“三号堀”(丸馬出)の一部が補修されておりました。
1573年、遠江(静岡県西部)侵攻の拠点とするために武田勝頼によって築かれた「諏訪原城」。
築城から400年以上経過しているのに、こんなに深い堀がまだ健在です。
されど、当時の堀はもっともっと広く深かったに違いありません。
説明板には“水堀”とあるので、ここには水が張ってあったという事ですね。
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