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大和郡山城 その15






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鰻堀池















真面目過ぎる官僚の石田三成や、茶道を通じて政治的にも影響力を持ち始めた千利休。
その他古参の武士や若手軍事派など、個性豊かな面々の豊臣政権の調整役として必要な存在だったのが豊臣秀長(羽柴小一郎)でした。
秀長の存在があったからこそ、秀吉と家臣達とのバランスが保てていたという事です。
その証拠に秀長の死後、秀吉は精神的に崩壊して行きます。
利休に切腹の命じたり、賛否ありますが無謀と言われた朝鮮出兵。
後継者として指名した秀吉の甥で当時関白だった豊臣秀次に謀反の疑いをかけ切腹させ、そして秀次一族も全員斬首など、晩年の秀吉には“人たらし・藤吉郎”の面影もありませんでした。


もしも、秀長が秀吉より長生きしていたら・・・















以下 鷺池


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盤石な豊臣政権が確立されていたかもしれません。
となると、徳川時代も到来していないわけで、江戸の町は大規模なものにはなっていないという可能性が大です。
徳川を憎む幕末の志士達も存在せず、当然“東京都”という現在の首都も誕生せず、豊臣政権の拠点であった大阪が“大阪都”として日本の首都になっていた事でしょう。
そしたら“大阪都構想”を旗印に掲げた政治家や政党も誕生せず、その政党にいかにも“公認されてます”と誤解される様な宣伝をし、縁もゆかりもない土地から県議会議員に間違えて選出されてしまう人もいなかったわけです。


結局・・・
秀長が秀吉より長生きしていたら、、、
あの“号泣会見”は無かった!
という、歴史的検証でした m(__)m















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2014年7月14日 現在AM6:06
ワールドカップ決勝戦 ドイツ対アルゼンチン 延長戦に突入です。

世界中が注目しているイベントの最中、こんな事を検証していていいんでしょうか?
い~~~んです!















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by keta871 | 2014-07-14 06:06 | Comments(0)
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