織田信長は・・・美濃を攻略し斎藤氏が滅亡すると、浪人中の竹中半兵衛を登用する事を考えます。
半兵衛の勧誘役を言い渡されたのは木下藤吉郎、後の豊臣秀吉でした。
秀吉は“三顧の礼”で半兵衛を誘ったと言われております。
実際は三度ではなく七度も八度も半兵衛の元を訪れ、世間話を繰り返しゆっくりと口説いて行ったとも。。。
秀吉の才能を見抜いた半兵衛は、信長に直接仕えるのではなく、秀吉に仕える事で間接的に信長に仕えるという選択をしました。
本来なら信長も気を悪くしそうな半兵衛の選択だったのでしょうが、信長も半兵衛の有り余る才能を見抜いての異例の妥協であったでしょうし、秀吉にとっても半兵衛の加入はその後の大出世への第一歩だったのだと思います。
「人気ブログランキング」に参戦中です。
“クローバー”をクリックするとポイントが加算され、順位に反映されます。
本日も1クリック、宜しくお願いします!
人気ブログランキングへ