織田信長がなかなか攻め落とせなかった自らの主君の城「稲葉山城」。
竹中半兵衛は得意の調略(戦わずして勝つ戦法)でたった一日で落としました。
更に、
“美濃の半分を与えるから、私に城を明け渡しなさい!”
という信長の命令にも、
“私は領国は要りません。お殿様を諌める為に行っただけです。”
と、城はあっさり主君の斎藤龍興に返し、自らは隠居したそうです。
時に半兵衛21才。
たった16人での「稲葉山城」調略劇でした。
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