金地院崇伝(こんちいんすうでん)という方を御存知でしょうか?
天海と同じく家康に仕えていた僧で、崇伝が係わった話として有名なところでは豊臣秀頼が建てた“方広寺”の鐘に刻まれた文にいちゃもんを付けた“方広寺鐘銘事件”が挙げられます。
“国家安康”は“(家と康の間に安を挟んでいるので)家康の名前を二つに割り呪っている”
“君臣豊楽”は“豊臣家を主君として楽しむ”
という因縁を付け豊臣を挑発し“大坂の陣”勃発のきっかけとなりました。
御存知の通りこの戦で豊臣は滅亡するのですが、この言い掛かりを考えたのが崇伝だったという説があります。
そんな崇伝と天海、家康の神号をめぐり対立します。
崇伝の主張は“大明神”。
天海の主張は“大権現”。
決め手となったのは天海の発言でした。
「大明神=神社。
大権現=宮。
(神社よりお宮の方が格が上)
滅亡した豊臣を祀っているのは“豊国神社”で神社というのは後世まで栄えず縁起が悪い。
大権現、つまり“東照宮”こそふさわしい。」
という内容だったそうです。
ここに“神君”家康公が誕生。
家康を神にしたのが南光坊天海でした。
日光東照宮の方を向き、神君家康公を見守るかの様に立っています。
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