人気ブログランキング | 話題のタグを見る

天海大僧正之像 その4






天海大僧正之像 その4_a0248182_10385276.jpg
















金地院崇伝(こんちいんすうでん)という方を御存知でしょうか?
天海と同じく家康に仕えていた僧で、崇伝が係わった話として有名なところでは豊臣秀頼が建てた“方広寺”の鐘に刻まれた文にいちゃもんを付けた“方広寺鐘銘事件”が挙げられます。
“国家安康”は“(家と康の間に安を挟んでいるので)家康の名前を二つに割り呪っている”
“君臣豊楽”は“豊臣家を主君として楽しむ”
という因縁を付け豊臣を挑発し“大坂の陣”勃発のきっかけとなりました。
御存知の通りこの戦で豊臣は滅亡するのですが、この言い掛かりを考えたのが崇伝だったという説があります。


そんな崇伝と天海、家康の神号をめぐり対立します。
崇伝の主張は“大明神”。
天海の主張は“大権現”。
決め手となったのは天海の発言でした。
「大明神=神社。
大権現=宮。
(神社よりお宮の方が格が上)
滅亡した豊臣を祀っているのは“豊国神社”で神社というのは後世まで栄えず縁起が悪い。
大権現、つまり“東照宮”こそふさわしい。」
という内容だったそうです。
ここに“神君”家康公が誕生。
家康を神にしたのが南光坊天海でした。















天海大僧正之像 その4_a0248182_10542737.jpg
















日光東照宮の方を向き、神君家康公を見守るかの様に立っています。















天海大僧正之像 その4_a0248182_10563240.jpg
















「人気ブログランキング」に参戦中です。
“桜”をクリックするとポイントが加算され、順位に反映されます。
本日も1クリック、宜しくお願いします!

人気ブログランキングへ
by keta871 | 2014-03-28 12:12 | Comments(2)
Commented by あい at 2014-03-28 16:54 x
こういうことを知ると、人の気持ちの重さを考えますね。
今日に至るまで存在するほどのものを建てる、残すというのは、念、でしょうかねぇ…
Commented by keta871 at 2014-03-29 12:37 x
あいさん
想う気持ち、信じる気持ちですね。
家康を神にしたのは天海だという書き方をしましたが、
天海が神への道筋を作り、神にさせたのはその気持ちという方が正しいでしょうね。
<< 天海大僧正之像 その5 天海大僧正之像 その3 >>