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清洲城 その12






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「清洲城」・・・といえば、織田信長が“桶狭間の戦い”に向け出陣した地、と・・・
やはり“清洲(清須)会議”ではないでしょうか。


“清洲会議”とは、“本能寺の変”で亡くなった信長、そして信長の嫡男(長男)・信忠に代わる織田家の後継者を決める会議の事です。
出席者は、織田家筆頭家老の柴田勝家、丹羽長秀、羽柴(豊臣)秀吉、池田恒興の4名。
農民から出世した秀吉はこの中では一番の新参者です。
木下藤吉郎から羽柴秀吉に名前を変える時、上司である“丹羽長秀”と“柴田勝家”からからそれぞれ一字づつもらって“羽柴”としたそうです・・・という人間関係でありました。
味方にしておきたい上司の機嫌を損ねない、秀吉の“人たらし”ぶりを垣間見るエピソードですね。

後継者の候補は次男の信雄、三男の信孝でした。
次男の信雄が次ぐのが常識なのでしょうが、信雄は信長とは違った意味での天然の大うつけだった様で人望が無かったのであります。
その為、筆頭家老の勝家は文武に秀でていた三男の信孝を擁立。
この会議で織田家乗っ取りを企む羽柴秀吉はリーダーとしての器に難がある信雄を擁立・・・
すると思わせ、当時3才の“三法師”を擁立します。
“三法師”とは、信長の長男・信忠の長男、、、つまり、信長直径の孫です。
“本能寺の変”後、信長の敵の明智光秀を速攻で討ち取った行動で秀吉の発言力が増し、更に次男や三男以上の文句のない血統。
そして何より、この会議に勝つ為に入念な根回しを欠かさなかった秀吉の思惑通りに終わりました。

織田家の家督を継いだとはいえまだ3才の三法師。
その後見人となった秀吉。
上座に座る三法師を抱く秀吉に頭を下げる柴田勝家ら古参の家臣達・・・という光景であります。















清洲城 その12_a0248182_1021480.jpg
















純粋に織田家を守ろうとした柴田勝家に対し、この会議を利用し事実上織田家乗っ取りに成功した秀吉。
当然の事ながら戦国の世、これが新たな火種となるわけであります。。。















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by keta871 | 2013-11-03 11:11 | Comments(2)
Commented by あい at 2013-11-03 21:29 x
いつの世も、偉くなりたかったり、お金が欲しかったり。
色々ありますね。
人間とは愚かしい生き物だなぁ、と思います。
Commented by keta871 at 2013-11-04 01:09 x
あいさん
偉くなりたい、お金が欲しい、、、というのは人間の本能の部分でしょうからそれを堂々と実行出来る人、私は羨ましく思う所もあります。
そういう人も必要でしょうから。
愚かだから人間なのでしょうね。。。
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