城内にある“安芸市歴史民俗資料館”のすぐ横に、この看板と説明版がありました。
関ヶ原の戦いで西軍に与した長宗我部は土佐を追われ、土佐には山内一豊が入ります。
その山内一豊と家臣の五藤吉兵衛とのエピソードが紹介されているのですが、、、
はて!?五藤吉兵衛は一豊が土佐に入る前に亡くなっているはずなのですが、何故この話が紹介されているのやら?
という疑問を抱きましたが、それは・・・
長宗我部に代わり安芸城主となったのが吉兵衛の弟であり亡き兄に代わる山内一豊の家臣である五藤為重(ためしげ)だったから、
という事だからだと思います。
家臣が殿様の顔を踏んで矢を引き抜いたという話は、時代は流れても五藤家と山内家の絆の深さを物語るエピソードとして語り継がれてきたという事ですね。
ちなみに・・・
大河ドラマ「功名が辻」では、山内一豊を上川隆也、五藤吉兵衛を武田鉄也、そして五藤為重を小倉久寛がそれぞれ演じておりました。
そして、山頂部へ誘う入口が・・・
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