さて、家康とまともに戦っては分が悪いと判断した秀吉の放った一手とは・・・
織田信雄と和睦する事でした。
信雄の領地である伊勢を攻め込み、信雄には屈辱的な条件を突き付け屈服させた・・・という形の“和睦”だったそうです。
信雄に頼まれて挙兵した家康にとって、秀吉と信雄が仲直りしてしまったら戦う意味が無く、約1年続いた“小牧・長久手の戦い”は引き分けで終了。
奇襲戦では武力で秀吉に“勝った”家康。
信雄を自軍に引き入れた秀吉の政治力。
いずれにして、お互いの恐ろしさを体感した戦だったのではないでしょうか。
今月からは木曽川で鵜飼の船も出てるみたいですよ。
「犬山城」、ひとまず“完”です。
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