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細川ガラシア その4






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散りぬべき 時知りてこそ 世の中の
花も花なれ 人も人なれ






細川ガラシャ、辞世の句です。

受け取り方は人それぞれ微妙に違いますが、“散り際を知っている美しい花のように、人も散る時を知っている方が人間らしく生きられる”という受けとらえ方を私はしています。















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きっと父・明智光秀が謀反人となり、家族全員が討ち取られた時にガラシャは“自分が散るべき時”を模索していたのではないでしょうか。
上杉討伐出陣前に夫の忠興が“屋敷から出るな”と告げたのは、“死ね”と言っているのも同然の事だと思います。
でもこれは“散る時”を決意した、ガラシャの為の一言だったと思っています。
忠興には、その決意が分かっていたのではないでしょうか。。。
猛反対されてもそれを拒否してキリシタンになった意思の強いガラシャですから、本当に“生きたい”と思っていたなら忠興に何を言われようと脱出出来たはずです。
でもガラシャは屋敷から出る事はありませんでした。
自ら命を絶つ事を許されていないキリスト教の教えに従い、自刃ではなく家老の小笠原少斎に長槍で胸を突かせて(首を切って、とも)落命します。
敵方に遺体をさらされぬ様、火薬に火を着け屋敷を燃やし、少斎も自害します。


ガラシャの死は、石田三成にとって想定外の結末でした。
人質作戦は中止するしかなく、逆に反感を買う結果になってしまったのです。
徳川方も“打倒・三成”の気運が高まり、寄せ集め集団が一致団結出来た要因もこの一件がかなりのウエイトを占めていたと思います。















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この銅像のすぐ近くに細川家屋敷の井戸があったとされる場所があります。
“ガラシャ辞世の句の碑”はそこにあります。





“本能寺の変”以降は死んだ様に生き、キリスト教に出会ってからは死ぬ為に生きたガラシャ。
その非業の死は宣教師によってヨーロッパに伝えられ、信仰を守り抜いた高潔な女性として称えられているそうです。















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by keta871 | 2012-09-14 11:46 | Comments(4)
Commented by あい at 2012-09-14 13:55 x
死ぬ為に生きる、のくだりでちょっと泣いちゃいました。
そのときの本当の気持ちは想像にしかなりませんが、そんな生き方をせざるを得なかった時代の悲しさを想います。

ガラシャの本を探そうと思います。
Commented by keta871 at 2012-09-15 08:00 x
あいさん
「人間は何の為に生きているか知ってるか?人間は死ぬ為に生きているんだ!」
と、小学校4年の時の担任の先生がこんな事を言ったんです。
10才のガキども相手にこんな哲学的な事を・・・。
ガラシャ辞世の句を自分なりに解釈した時、ガラシャはある時からきっと死ぬ為に生きたのかな・・・と思いました。
今でも分かった様な分からない様な、私の脳裏に焼き付いている言葉です。。。
Commented by あい at 2012-09-16 09:51 x
すごい先生もいたもんですねぇ!
でも、きっとその先生、素直だったんですよ。
ご自分も悩んでた時期だったり。で、出た結論が『死ぬ為に生きてる』だったんじゃないでしょうかねぇ。
それをわざわざ教え子に言うあたり、素直じゃないですか(笑)
子供にどんな影響があるか、よりも、自分が教師や人間であることに疑問を感じていたりしたのかもしれないなぁ…なんて思ってしまいました。
自分も歳をとって、大人も大人じゃないな、と理解出来るようになってきましたから(笑)
Commented by keta871 at 2012-09-16 10:34 x
あいさん
その先生、当時25,6才ぐらいだったかな、若い先生で空手やっていました。
「お前らでも素手でブロックを割る事は出来る!但しほんの少しでも“痛いかな・・・”とか“失敗したらどうしよう・・・”という気持ちがあったら無理だ。怪我するぞ」
などと、私の中で未だに忘れる事の出来ない言葉を残してくれた先生です。
でも現在、“死ぬ為に生きているんだ”なんて事を言った先生がいたとなれば、やはり教育上問題になるのですかね?
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