“関ヶ原の戦い”から約1年後、上杉景勝と直江兼続は徳川家康の要請により上洛し会見します。
上洛=屈服 という事です。
そこで言い渡された処置は、会津120万石から米沢30万石への減封というものでした。
“上杉”というブランド、そしてプライドを背負い、一時は家康に喧嘩を仕掛けておきながら結局は屈服してしまう。
壮絶に戦死したり忠義の為に自害したりする潔いイメージの強い戦国武将ですが、上杉ツートップはそれまでの武将達とは違い、“屈服してまで生き延びたいの?”という印象が正直あります。
でも・・・オリンピックもそうですが、メダルを取れなくて一番悔しい思いをしているのは、テレビで観戦していた私達より選手達本人です。
400年前でも、きっと一番悔しい思いをしたのは誇り高き景勝・兼続。
断腸の思いで上洛した事でしょう。
こういう生き方も“戦国武将”なのだと知りました。
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