そうでした、、、この城を攻めた直江兼続はどうなったかというと・・・
説明板を読んで下さった方はもう承知されているかと思いますが、結果的には約半月間の攻防の末、兼続は「長谷堂城」を落とす事が出来ませんでした。
“関ヶ原の戦い”で敵方の徳川家康率いる東軍勝利の報が入り、撤退するしかなかったという事です。
その報が直江軍にもたらされたのが、関ヶ原が決着してから約半月後。
ここでの戦が始まった頃には、本隊の勝敗は決していた事になります。
現在では考えられない程、無駄に戦い無駄な時間を費やしていました。
いや、現在があまりにも無駄な時間が無さ過ぎる様に感じます。
“無駄な時間”は、実は無駄ではないのだと思います。
そういう時間が大切だけど、そういう時間が現在はありません。。。
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