“鵰門跡”(くまたかもん)です。
織田信長の天下統一事業で中国地方を担当していたのが羽柴(豊臣)秀吉でした。
1580年、播磨(現在の兵庫県南西部)平定に成功した秀吉は、経済や文化の中心とする都市を姫路と定め、近世城郭としての「姫路城」を築き上げました。
当時は三重の天守閣だった様で、現在の天守閣とは違ったものでした。
現在の「姫路城」に整備されたのは徳川家康の娘婿・池田輝政の手によるもので、1609年に完成したそうです。
「姫路城」、ひとまず“完”です。
訪れていない所もまだまだあります。
改修中の今しか見れない“匠の技”も目にしておきたいです。
続編がお届け出来ます様、私自信も願っております。。。
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『新生姫路城』お披露目まであと2年9ヶ月ぐらい(予定)。
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