前回御紹介しました現在の「本能寺」から1キロちょっと離れた場所の、“本能寺の変”の舞台となった「本能寺」の跡地です。
今からちょうど430年前の6月1日、明智光秀は張り裂けんばかりの緊張感に見舞われていた事でしょう。
いや、もう完全に割り切って冷静な気持ちでいたのかもしれません。
光秀は重臣たちにだけ信長を討つ事を告げ、1万3,000の兵を率い「丹波亀山城」を発ったのが6月1日の夜。
兵たちは本来の目的地・備中(岡山)へ向かっているものだと思っていましたが、分岐点で備中方面に向かわず京都へ向かっていた為、そこで本当の目的を知ったとも言われています。
“信長を討つ”という事をあらかじめ知っていたら、逃げ出してしまう兵もいたからだという説もあります。
私が光秀の兵だったら、逃げてました・・・完全に。。。
当時の面影は全く無く、これらの碑が跡地だという事を証明してくれるのみです。
今から430年前の明日6月2日早朝、この辺りにあった「本能寺」は炎上します。
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