“直江屋敷跡”です。
謙信の父・長尾為景や謙信に仕えていた直江景綱は大河ドラマで主役となった直江兼続の叔父になります。
その景綱が死に、婿養子の直江信綱も死ぬと、信綱の妻であったお船は兼続と再婚して兼続は直江家を継ぐ事になります。
“直江山城守”って、兼続の事だと思うのですが。。。
謙信存命中は“直江兼続”は誕生していませんから、兼続がこの館の主となったのは景勝が城主となってからの話ですね。
本丸から見た“直江屋敷跡”です。
木が邪魔で、ここからはその全貌は見難いのですが・・・
“直江屋敷跡”下方に春日山神社があり、そのすぐ下に“お屋敷”と呼ばれる広い郭があります。
城主の館跡の様です。
特に案内板やパンフレットには固有名詞が出ていないのではっきりとはいえませんが、“城主の館跡”という事は、謙信もここに館を構えていた・・・という事です。
城主は一番上に住んでいるイメージがあるので、縄張からすると春日山のかなり下の方に城主の館があるというのが不思議な感じがします。
でもこれが“戦闘用”の城のスタイルです。
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