同じ松本市内にある「林城」の支城として、小笠原氏一族の島立貞永が築いた「深志城」が前身です。
武田信玄に攻められ落城し、武田氏の信濃での拠点となっていた時期もありました。
武田氏滅亡後は再び小笠原氏が入り、そこで大改修が行われ「松本城」と改められ、その後は徳川家康の関東移封により小笠原氏に変わり石川数正が入ります。
豊臣秀吉の天下統一の為に、関東に封じ込めた家康を監視する重要な位置の城だったのです。
家康に睨みを利かせていた石川数正という人は…
家康が駿府に人質として送られた時に随行したり、人質にとられた家康の嫡男を奪回したりなど家康の元で活躍していたバリバリの家康一派だったのですが、1583年に突然秀吉の元へ寝返ります。
前年の1582年は本能寺の変で織田信長は亡くなっており、天下の形勢は秀吉に傾いていた時期ではありましたが…。
石川数正も、さぞやばつが悪かった事でしょう。。。
逆に家康に睨まれていたのではないでしょうか(笑)
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