天守台からは鳥取砂丘が眺められます。
“鳥取の渇殺し”の舞台となった城です。
天下統一を目指す織田信長の命で羽柴(豊臣)秀吉は中国地方の攻略を開始します。
要害堅固な「鳥取城」を落とす為に秀吉が取った手段が“兵糧攻め”でした。
「鳥取城」の周りに陣を構え食糧を買占め糧道を断ち、飢餓に陥らせる策です。
籠城戦は3~4ヶ月にも及び、死んだ味方の人肉までも食べるほどだったという説もあります。
血を流さずに城を落とすなんて、さすが秀吉!
…とも思ったのですが、考えてみたらこれほど“えぐい”策は無いかもしれません。
生き延びても精神的に立ち直れないとでも言いましょうか…。
相手の心を折る勝ち方とでも言いましょうか…。
生粋の武士ではない秀吉独特の感性なのでしょう。
数百年前は戦の地となって多くの人命が奪われた場所が、現在は憩いの場となっています。
城って不思議な所です。。。
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